ヨーロッパにおけるワインの生産国を想像するとフランスをイメージしますが、2023年のデータによると、イギリスの年間ワイン消費量は約12.8百万ヘクトリットルで、世界で5位の位置にあります。ワイン消費量のランキングでは、アメリカ、次いでフランス、イタリア、そしてドイツが続いています。
イギリスはワイン生産に関して歴史上古く、スパークリングの製造が主流です。また消費量も経済に大きく影響しています。
ワインを親しむ上では歴史の古い国イギリスですが、フランスは中世の100年間イギリスの領土だったために親しまれているのでしょうか?
今回は意外に知られていない、しかし近年では注目されつつあるイギリスにクローズアップしていきたいと思います。
目次
・イギリスのワイン文化
・WSET(Wine and Spirit Education Trust)の本部はイギリス!
・ワイン消費国イギリスはワインの歴史に深く精通している?
(ボルドー支配からの供給)
・注目を浴びるイギリス産ワインとは?(スパークリングワイン)
・まとめ
イギリスのワイン文化
世界で最も影響のあるとされるワインジャーナリストのジャンシス・ロビンソンは自身のサイトにて、ワインの首都はロンドンと述べました。近年、確かにイングリッシュスパークリングが日本でも見かけるようになり、国際的なワインコンペティションでも高い評価を受けることが増えていますが、生産量はフランスやイタリアに遠く及びません。
消費量としては世界第5位ですが、それをもってしてワインの首都とするにはちょっと無理があります。ニューヨークや香港でも消費量は非常に多いですが一人当たりのワイン消費量となると、20位にも入りません。
これらの数字だけで判断すると、イギリスとワインの関係が深いとはとても思えません。しかしワインの教育や学問的解釈に目を向けるとイギリスがワインの中心地であることがわかります。
WSET(Wine and Spirit Education Trust)の本部はイギリス!
日本でも受講者が増えてきているWSET(Wine and Spirit Education Trust) はロンドンに本部があり、世界で9万人を超える受講者がいます。もともとはロンドンのワイン商のための教育期間でしたが、今では世界中に門戸を開いています。Level3までならば多くの言語で資格習得が可能です。もちろん今はワイン業界だけでなく、愛好家にも受講者が多いのです。世界最難関のワイン資格と言われるマスター・オブ・ワインもその本部がロンドンにあり、WSETとは姉妹関係です。こちらも世界中に資格保持者がいるものの、実際にはほとんどがイギリス人です。
ワイン業界の評論家も蓋を開けてみると、多くがイギリス出身。パーカーポイントで有名なロバート・パーカーはアメリカ人ですが、言い換えればイギリス人以外で有名な評論家は彼くらいで、まさに例外です。先のジャンシス・ロビンソンを筆頭に、『ポケット・ワインブック』のヒュー・ジョンソン、ワインオークションを流行らせたマイケル・ブロードベンド、ブルゴーニュワインの権威として知られ、畑や生産者をまとめた『インサイド・バーガンディ』のジャスパー・モリス、南アワインの格付けをしたティム・アトキン。彼らはみなイギリス人です。そしてMWでもあります。1976年にアメリカとフランスのワインのブラインド対決をして、パリスの審判として有名になったこの事件の立役者であるスティーブン・スパリュア もイギリス人で、なんとフランスでワインスクールも開きました。
ワイン消費国イギリスはワインの歴史に深く精通している?(ボルドー支配からの供給)
ではなぜイギリスにはワインに対する博識豊かな人が多いのかというと、イギリスの世界進出の歴史とともにワインがあったからです。イギリスなくして今のワイン文化はなかったと言っても、決して過言ではありません。
イギリスでのワイン産業の歴史はかなり古く、なんとイングランド南部では古代ローマ時代からワイン造りが行われていたとされています。ただし正確な資料はないので、詳細はいまだわかっていません。1066年、ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服した際にヨーロッパから技術が導入されて、ワイン造りが本格的に行われるようになったのは史実です。
12世紀半ばになると、後にイングランドの国王となるヘンリー2世が現在のボルドー地方を統治するアテキーヌの公女と結婚します。結果的にボルドーはイングランドの領土となりました。つまりボルドーワインはイギリスの国酒ということです。
イングランドより南に位置し、港にも近いボルドーはイングランド王から非常に注目されました。その年の最初のボルドーワインを自由に販売できる権利を認められました。つまりボルドーワインが他の産地より真っ先にイングランドに入ってくるため、他のワインが輸入される頃には需要がすでに落ちているということになります。
英仏百年戦争後、ボルドーはフランス領となります。しかしイングランドによって繁栄したボルドーは、イングランドの貴族たちによって再び所有されることとなり、ボルドーワインは引き続き愛飲されます。
大航海時代には、スペインやポルトガルに続き、イギリスも世界進出します。海兵や商人たちにとって課題となったのがお酒。ワインを船に積んで航海に出れば、当然熱劣化して飲めたものではありません。余談ですが、オランダ人はブランデーを水に薄めてワインの味を再現しようとしました。それはそれで美味しいのでしょうが、もちろんワインとは全く違ったものです。
そこで発酵中、または発酵後のワインにブランデー(グレープ・スピリッツ)を添加することで、アルコール度数を上げて長期の航海に耐えられるワインを開発しました。それが酒精強化ワインです。世界三大酒精強化ワインのシェリー、ポート、マデイラ、さらにシチリアのマルサラはすべてイギリス人が関与していますし、それも港から近いところにワイナリーがあります。
シェリーは今でもイギリスが最大の輸出先であり、乾杯は辛口のフィノ、デザートワインは甘口のクリーム・シェリーとさえ言われています。スペインとはしばしば覇権を巡って衝突することが多かったので、輸出が滞ることがありました。世界のどの地域もそうなのですが、隣国同士は仲が悪いことが多く、スペインとポルトガルもその例外ではありませんでした。イギリスはそのポルトガルと手を組み、ポートやマデイラの生産に大きくかかわりました。
ポルトガルとの関係は酒精強化ワインだけではありません。今では当たり前のコルク栓です。コルク自体は古代からあったのですが、一般的ではなく、今のように弾力のあるものでもありませんでした。イギリス人はほとんどポルトガルから産出されるコルクの利点を再発見し、ワインボトルの栓として流通させたのです。
同時期に登場した高い圧力に耐えられるワインボトルとコルク栓はシャンパンの発明にも寄与しました。世界初の瓶内二次発酵スパークリングワインはドン・ペリニョンが生み出したと言われていますが、その数十年前に瓶内二次発酵はロンドンで発明されました。そして一足先にシャンパーニュ式ワインを楽しむ文化ができたのもロンドンです。そうした歴史的背景もあってか、イギリスはシャンパン輸入量世界一です。人口の多いアメリカは2位です。そして日本は3位です。
近年では南アフリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドがワイン生産国としての地位を確実なものにしていきましたが、同じ英語圏であるイギリスが飲んで評価し、その素晴らしさをイギリスの評論家たちが広めたからです。
アメリカだけは例外で、自国の巨大市場で発展しました。最近でこそイギリスでも高く評価されていますが、イギリス市場で成功したわけではありません。不思議なことに、WSETのLevel3の筆記試験でもなぜだかアメリカだけはほとんど出題されません。
注目を浴びるイギリス産ワインとは?(スパークリングワイン)
前述の通り、一応古代からワインを生産していましたが、ボルドーを支配し、シャンパンを生み出し、それ以外のワインもヨーロッパ大陸からワインを輸入できたので、無理してワインを生産する必要はありませんでした。海外の中継地点では酒精強化ワインが入手できます。
戦後、レゲントやミュラー・トゥルガルといったドイツの交配品種が栽培されるようになりました。寒冷地に対する耐性が高く、成熟することができるからです。しかしこれらの品種はもともと糖度が上がりにくく、さらにドイツより北に位置するため、出来上がるワインはアルコール度数が低くてライトな味わいでした。
いわゆる日常のがぶ飲みワインでしたら、同じEU圏内(今は違いますが)のスペインやイタリア南部の方が美味しくて安いです。そのためしばらくの間、ワイン産業はあまり発展しませんでした。
ところが90年代からシャンパンスタイルのスパークリングワイン生産に向けて、ピノ・ノワールやシャルドネの栽培が本格化します。気候変動の影響やシャンパーニュ・メゾンの協力もあって、品質と知名度を確実なものにしていきました。
現代ではワイン生産量の約85%をイングランド南部が占め、残りはウェールズです。イングランドでも特に評価が高いのがケント州とウエスト・サセックス州。シャンパーニュと同じ石灰質土壌で、夏は暑いため、早熟系品種には適合します。有名なワイナリーとしては、初めて英国御用達となったキャメルヴァレーやイギリス最高峰とされるナイティンバー、現代イギリス最古のワイナリーとされるハンブルトンがあります。
イングリッシュスパークリングはもちろんシャンパンに似ていますが、わずかにライトボディで酸味が強いのが特徴。シャンパンのように細かい規定はありませんが、澱との熟成期間が長く、またヴィンテージワインが多いのが特徴です。
まとめ
歴史にもしもの話は禁句とされていますが、イギリス人がワインを愛飲し、世界進出しなければ、私たち日本人はシャンパンやシェリーを知らなかったでしょうし、オーストラリアのワインが美味しいことも知ることがなかったでしょう。何も感謝する必要はありませんが、いかにイギリスが世界のワイン業界に多大な影響をもたらし、今でも中心地であることが分かったと思います。
イギリスのお酒というと真っ先に思い浮かぶのがスコッチウイスキーでしょう。しかしスコットランドを併合したのは1707年で、イギリスにおけるワインの歴史と比較すると、比較的最近の話です。ボルドーやシャンパンへの憧れがあったイングランド人にとって、スコットランドはあまり文化的でなく、未開の地であり、当然ウイスキーへの興味もあまりありませんでした。
そもそもスコッチウイスキーは中央政府からの税金逃れのために、農民たちが樽に詰めて隠していたのが始まりとされ、イングランド人が飲むことはなおさらありませんでした。当時のイギリスにとって蒸留酒はフレンチブランデー、そして海軍はラムです。今日では、イングランドにもウイスキー蒸留所ができるくらいウイスキーの人気がイギリス国内外にありますが、21世紀になってからの話です。
今でもイギリスこそがワイン文化の中心地であることに変わりはありませんが、必ずしも盤石ではありません。EUからの脱退により、EUからのワインの輸入に今後何かしらの影響が出るかもしれません。世界的なインフレ、海上輸送費の高騰が拍車をかけるでしょう。ワイン生産国における干ばつや霜被害もあり、イギリスに輸入されるワインの価格上昇は恐らく避けられません。
ワイン生産においても課題が多いです。イギリスのスパークリングワインの素晴らしさは前述したとおりですが、約95%が国内消費です。つまりイギリス人以外は殆ど飲んでいません。シャンパンに比べて圧倒的に資本が足りず、生産拡充が思うように進んでいません。イングランド南部は長引く雨が深刻な被害をもたらし、気候変動により春の霜もブドウの生産量を大きく損ねています。一部のワイナリーはヴィンテージによってはワインを生産できませんでした。
毎年の品質を安定させるために、シャンパーニュ・メゾンはその年のワインをすべて使用せず、リザーヴワインとして残しておくのですが、イングランドではその余力がありません。だからこそヴィンテージワインが多いのです。伝統国のようにいくつものブドウ栽培農家や共同組合が特にあるわけでもなく、ワインを造りたいからブドウ畑ができたのが、イングランドの産業構造です。これですと自社農園が被害を受けたときに、成すすべがありません。
このようにこれからの課題もとても多いイギリスのワイン業界。しかしワインを飲み続けるためにボルドーのシャトーを入手したり、マデイラを開発したりと、その努力を怠りませんでした。今後もワインの首都をロンドン以外に譲ることは、少なくとも当分の間はないでしょう。